今まさに台風4号が日本に近づいて来ていますよね。
小学生の頃から高校生の頃の私には、あまり怖いという記憶がなくて
思っても忘れてしまうんでしょうね。
それが唯一今でもハッキリ覚えている台風の記憶があるんです
それは『まだ1歳にもならない娘がいた』からじゃないかと。
平成3年の台風19号の事です。
私の住む集合住宅は、水を一度屋上のタンクまで上げそれを下に
下して利用するというタイプになってます。
それには電気が必要なんですね。
風呂や料理・小型湯沸かし器はガスです。
娘は9月17日生まれなので、台風19号が私らの地域を通った時は
まだ娘は1歳未満でした。やっと伝い歩きができ、手を離しても
倒れないかなという状態。夫はその当時、割と早く帰宅できてました。
夫の実家では水は『井戸水のみ』で、ポンプで汲み上げないといけない。
しかし、この台風大きいよって事で晩御飯も早めに炊き、浴槽にも
水を入れてました。停電になったら、ガスは使えるけど屋上の水が
無くなったら何もできないからと考えたのです。
案の定、停電になりました。
でも浴槽には水を入れていたので、沸かす事ができ娘も入浴させられました。ただ。浴室も洗面所も真っ暗。その時役に立ったのが【ウエディングキャンドル】
披露宴の時に夫と灯りをともしたロウソク←結構デカイし重たい
それを浴室で灯して、あがったら台所に移動させ火事にならないよう
使いました。食器とか鍋は洗えなくてもいいかって放置。
夫の実家では、義父が自分の実家に行っていて義母しかいなかったらしい。水が使えなくなったから、何も食べられずに『作り置きしていたおかず』を食べ、義母は寝たそうです。
当時の宮島の被害 ↓
灯篭は倒れ、神殿も被害を受けたと出ています。
石で作った物ですらこの状態。翌日、私は北側の部屋から見た景色に
あ然としました。今は駐車場になっている部分が当時は土で、大木が
立っていたのですが、幼稚園側に途中から折れて倒れていたんです
平成3年度は、我が家が役員の年で「この木、どうしたらいいんだろう」と思いました。何でも役員に言えばいいって事なので、私に何か言ってくるかも。
ただ当時の自治会長さんが手配してくださったんでしょう。
業者が来て、木を枝から切り落とし最後に幹を何分割かにして
トラックで運び処分してくれたのです。
今はその根も駐車場整備の時に掘り起こされて、何も残ってないですが
痕跡として、木が倒れた時にフェンスで止まったのでそこのフェンスが
へこんでいるのが見ればわかるくらい。
誰も気に留めないと思います。
あのフェンスが無かったら、幼稚園のフェンスに直撃していただろうと
思いますし、解体する木をたくさんの人が見に来ていました。
もちろん幼稚園の先生も…
あれから台風で停電したことが、2回くらいあったけど近くのスーパーは『自家発電』ができるみたいと判断し、子供たちにお弁当を2人で買いに行かせた事が
さすがに夫も、普段晩御飯にお弁当だと怒るけど仕方ないって。
あれほどの大きな台風は、きっと忘れる事は無いと思います。
オール電化の家は住みたくないかも、なんて考えてしまいますね。