昨日は毎度おなじみに2時間ドラマを見て、そのあと夫が帰宅したら
必ずチャンネルを変える【報道ステーション】をやっていたので、私が
変えたらいきなり、右上にテロップで
“余命1年、2つの命を守る”
と出でいて、一瞬頭の中が真っ白になりました。
ほんの数秒でしょうがテレビは待ってくれません。
気が付いたら教会での結婚式のビデオテープが流れていました。
「海の見える教会で結婚式ができて幸せです」
と微笑む新婦の声が聞こえていました。
彼女は小松美穂さん。小学校の教師でした。
それから3年後、待望の妊娠そして5ヶ月に入った時、以前から
気になっていた胸の張りについて検査を受けました。そして
「末期の乳がんです。余命は1年」
の宣告を受けました。その日から彼女は日記を書き始めました。
ショックな気持ちと赤ちゃんが生めるだろうか…。
夫婦で話し合い、夫は妻の体を優先して赤ちゃんを諦めようと。
アメリカ・テキサス州のMDアンターソンがんセンターの医師と
聖路加病院の医師とのテレビ電話の会議で、赤ちゃんを
生めた例が3回あることと治療の仕方を教わりました。
聖路加病院では、産婦人科と外科とのチームを作り小松さんの
治療を行うことになったのです
がん治療には、がん細胞の進行を抑えるのとその細胞を死滅させる
治療が点滴で行われていたようですが、がん細胞を死滅させる薬が
『赤ちゃんのいる羊水を減らす』副作用のため。今まで妊婦には
使ったことが無く、羊水チェックは欠かせないものになりました。
そして小松美穂さんは無事、男の赤ちゃんを出産
抱っこする事もできました。
哺乳瓶でミルクを飲ませている姿は幸せそのもの。
しかし、がんは肝臓・肺に転移し美穂さんは帰らぬ人となりました。
享年30歳。
息子が小学校入学を迎えた時のために、ビデオレターが撮られて
「りょうがくん、入学おめでとう。
ママは一緒にいられないけど、いつも
お空から見ています。」
途切れ途切れのもうろうとした意識の中、懸命に話す美穂さん。
今2歳になったりょうがくんはおばあちゃんと元気いっぱいです
もしかしたら「どうしてボクにはママがいないの」と言ったりするでしょう。
段々大きくなると「なんで辛い治療を受けながらオレを生んだんだよ」と
荒れることになるかもしれません。
でも美穂さんは最後まで諦めなかったんです。
【ママの生きた証】のりょうがくん、君がすくすく育つことを願っています。